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2019年10月24日木曜日

子育てがらくになる考え方

子育てをしてると悩みはつきませんよね。


私のところにもいろいろと悩みがあります。
その悩みへの答えも様々ですが、
回答の根底にはある言葉があります。


「生きているだけで丸儲け」


これは明石家さんまさんの言葉で、
娘さんの名前を「いまる」にしたのは有名ですよね。



私は息子が生まれるときに立ち会いました。


生まれた息子を抱っこしたとき、
はかなく消えそうな命を前にして願ったこと。

「まずは元気に多少のケガなどびくともしないくらいの
 頑丈さを身につけるまで早く育ってほしい!」


わずかにこれだけ願ったことを思い出します。




しかし、子供が成長してくると
いろいろな期待が増えていきます。


〇〇できるようになってほしい。
〇〇な子になってほしい。


この期待が大きくなればなるほど、
その期待と現実とのギャップから
摩擦も生じ、親子関係がぎくしゃくするなんてことも
ありました。


しかし、そんなときに思い出した言葉が、
「生きているだけで丸儲け」です。


原点回帰です。



生まれてきてくれたとき、
ただ元気に成長してほしいと願った自分の心を思い出すと、
過剰な期待は薄れていきました。


軋轢を生んでいた過剰な期待は社会で必要とされていることに
影響された期待であって、
人間が生きる上で最優先課題ではないのです。


周囲との比較で生まれてきた期待でもあります。
劣らないでほしい・・・
勝ってほしい・・・


正直、本当は生きる上では些末なことです。
最優先課題ではありません。



最優先課題ではないのに
それがもとで親子関係が破綻してしまったら、
元も子もありません。


生まれてきてくれただけでOK。


元気に育ってくれたらOK。


そんな気持ちを忘れずに子育てができたら、
少しは笑顔でいられる時間が増えるのかなって思い、
今回は記事にしてみました。


子育ての参考になれば幸いです。


では、また!

2018年9月10日月曜日

子供の才能は遺伝で決まるのか?



以前、遺伝子で学力が決まるとか、
遺伝でその子が成功するか失敗するか決まる
という話を聞いたことがあります。


私がいろいろと文献にあたったり、
実際に教育現場で見てきた限り、
成功、学歴と遺伝には
確実な関係があるとは言い切れません。


勉強ができる子の親の学歴が
東大だと、「やっぱりなぁ」と遺伝を正当化するような
意見を言う人もいますが、
それは本当に遺伝と言い切れるのでしょうか?


遺伝と言うことで、
自分の子育ての正当性から目を背けたいだけなのかもしれません。


私は東大の親から東大に行く子が出るのは
遺伝ではなく、教育環境が原因だと考えています。



親が子にどのような言葉かけをするのか。
親が子に与える物はどのようなものか。
親が子に与える教育環境はどのようなものか。


などなどの外部の要因が積み重なった結果として
子が東大に行っただけで、
決して遺伝で決まったわけではありません。


親の学歴が高くてもも、社会的に成功していても、
家庭を顧みずに子を引きこもりにさせる家庭だってあります。


遺伝子が影響しているのではなくて、
親の行動が子の才能に影響を与えているだけです。


その結果、才能が開花する子がいるし、
開花しない子もいます。
才能が開花しなければ、
別の才能を見つければいいし、
本気で好きなら、今は開花していなくても
頑張り続けることでしょう。


親はそれをサポートしてあげればいいだけです。
遺伝子の話は関係ないことです。


もちろん、中には抜群の記憶力を持つ子もいるでしょう。
けど、それは一部の一部であるし、
親がそのような記憶力を持っているとは限りません


子供の才能を遺伝と決めつけてしまうことで
可能性を狭めてしまうことは
子供の未来にとって本当に怖いことだって思います。


2017年12月19日火曜日

生きているだけで嬉しい思う子育て



「生きているだけで丸儲け」
これは私が大好きな明石家さんまさんの言葉です。


さんまさんの笑顔を見ていると
こっちまで幸せな気持ちになってくるので、
とても大好きな芸人さんの1人です。
いや、芸人という枠を超えて好きな人です。


何か悩みごとなど辛いことがあるときは、
さんまさんの動画を見ると肩の力がふと抜ける気がします。


私も5年生の親として子供を育てていると、
時にイライラすることがあります。
でも、そのイライラの元をたどってみると、
自分の期待の大きさが見えてきます。


その期待はどこから来ているかというと、
過去の自分だったり、周囲の子どもたちだったりと
比較することから生まれていることがありました。


しかし、その比較から生まれた期待は、
本当に我が子にとって必要な物差しとなるのだろうか?
と悩んだ時期がありました。


未来に正解はない。


未来にこれをしたら良しという正解を見つけることは
とっても難しいことです。


でも、一つだけ正解があるとしたら、
愛情なんじゃないかなって思うんです。


親が子を愛していて、
子が親を愛している。


ただそれだけは、揺らぐことのない真理な気がしています。


それにも関わらず、
細かい比較で我が子を叱る機会が増えてしまい、
お互いの関係が悪くなりそうな雰囲気があるのは
とってもさびしいことだと感じました。


そんなとき、ふと頭に浮かんだ言葉が、
「生きているだけで丸儲け」です。


我が子が生まれたとき、
元気に育ってくれたらいい。
ただそのことだけを期待していました。


子どもが存在してくれるだけでOK。


でも、成長するにしたがって、
あれもこれもと期待をかけ始めていたのかもしれません。


決して悪いことではないでしょうが、
それが親子の関係を悪くするくらいなら、
少し立ち止まって考えるべきなんだと思いました。


別に説教じみたことを言いたいわけではなく、
自分が子どもと接していて感じたことです。


生きているだけで丸儲け。


教師として私が教える子どもたちも
細長く真っ直ぐ最短距離ではなく、
曲がりくねって紆余曲折でもいいから
太くしっかりした根を張って、
生きてほしいなと思います。


2017年6月16日金曜日

子どもは存在してくれているだけでありがたい。

子どもは存在しているだけでありがたい。


我が子が生まれたとき、
初めて抱っこした日のことを
今でも鮮明に覚えています。


あまりに小さな命は
ちょっとした強い息でも消えてしまいそうな
弱い炎に見えたものでした。

ただ元気に育ってほしい。
消えないように強い炎になってもらいたい。


親としてそんな純粋な思いがあった気がします。


でも年月が経つにつれ、
弱かった炎はなかなか強くなり、
ちょっとやそっとでは消えなさそうになります。


するとその頃の生きていてくれるだけで嬉しい。
強い命の炎を灯してほしい。
という想いはやがて薄まり、
徐々に親としての欲が生まれてきます。


もうちょっと炎はこんな色になってほしいな。
炎の形がもうちょっときれいだといいのにな。
隣の家の子の炎の形はなかなかきれいだな。


こうあってほしい。
これもできてほしい。


それがより強くなると、
こうでなければならない。


あの子ができていて、
なぜ我が子はできないのか。

など他人と比較するようにもなってきます。

そんな親の理想が強すぎてしまったとき、
その強さと比例するかのように
子どもから子供らしい笑顔が消えてくるようになります。


自分は親の期待通りに
うまくできないんじゃないか?

自分が失敗したら
親は悲しむんじゃないか?

自分は親を悲しませてばかりなのではないか?


笑顔であふれていた子どもは
プレッシャーというものを覚え、
さらに条件を満たさないと
愛してもらえないのではないか?
と自分に対する自信を失ってくることもあります。


子育てに苦しむ親は多くいます。


その原因として上に述べたような
子どもに対する過度な要求があるとするなら、
一度原点に帰ることも大切。

過度な要求とは、
こうなってほしい。
ああなってほしい。
こうしなければならない。
みんなこうだ。
といったもの。

子どもに対して過度な要求がどうしても沸いてしまい、
さらにその過度な要求で
自分がストレスを感じているのだとしたら、
原点に帰る。


その原点に帰るものは何か。


写真です。

赤ちゃんの頃の写真を見てください。
15分でもいいんで。

不思議と肩の力がすっと抜けて、
元気でいてくれる、
ただ今成長してくれていることだけに
感謝というか、喜びのようなものを
感じることができると思いますよ。

我が子は存在してくれているだけで
ありがたいんだと。

2017年2月14日火曜日

東大生が変わり者?学力偏重、受験勉強の弊害とは。

テレビで東大生が出演して
変わりもの扱いされている番組があります。

必死に勉強して東大に入った人たち
全員がそうであるわけはなく、
極々一部の人を見て、
東大は変わり者が多いと判断するのは
安易すぎるもの。

が、そのようにとらえられてしまう人物が
一流大学ほど多くいる
というのも事実としてあるようです。

私は塾や公立小学校で教師をしてきました。

勉強を教えることが仕事でもあります。
受験勉強でストレスをため込んで
友達に冷たくあたる子を多くみてきました。

教育する上で忘れたくなかったことが
勉強「も」できる人を育てるという意識です。

勉強はあくまで人間の能力を測る
ごくわずかな部分でしかないのです。

しかし、世の中を見渡してみると
学力というものの価値がずいぶんと高くなりすぎている。
そんな学力バブルという感があります。

子どもを育てる際の基準がわからなくなり、
手っ取り早くわかりやすい学力という物差し
多くの親が手にしているように感じます。

学力が高まることは素晴らしいことですが、
学力というものが
単なる受験テクニックとなってしまっていたら
危険なことです。

難関受験を目指している子どもたちは
本当に多くの時間を勉強に費やします。

趣味の時間、遊びの時間、家族と過ごす時間を
費やしてまで難関校合格を目指します。

しかし、難関校に何のために行くのか?
ということが希薄なことが多いのです。

就職が有利。
そんな簡単な話だけで選んでよいのでしょうか。

確かに就職が有利かもしれませんが、
そのためだけに
あらゆる犠牲を払う価値があるのか?
ということを問う必要があります。

人間の幸せとは
良い企業に就職するだけではないはずです。

自分の才能を生かして
そのことでお金持ちになれなくても
人並みに生活できることを
幸せと感じる人がいてもいいはずです。

お笑い芸人を目指して
苦労をしている人が幸せではないか
といえばそうではないはずです。

人は自分の好きなことや
才能を磨いて開花させることも
経済的な側面以上に幸せを感じるものなんです。

勉強に才能がある子もいます。
専門家を目指す人は大いに勉強すればよいです。

でも、そうでない子も多くいます。

にも関わらず、
親が人間の価値観を学力に偏ってもっていると
子どもの才能を見つめることなく
難関校受験のための塾に通わせてしまうことがあります。

日曜まで・・・

学力偏重


従順な子ほど何も言わずに親の意向に従います。
が、元来従順ではない場合は
ストレスを内側にためて、
発散先を探すことになります。

それが友達であれ。

自分が何が好きか?
そんなこともわからず大人になる子は多くいます。
自分が好きなことを見つめる時間すらなく
忙しく受験勉強に費やして生活してきたためです。

極一部のテレビ番組で出る
学力は高いけど社会適応力に欠けてしまうような子は
もともとそのような子だったのではなく、
人と接する機会を無くすほど
勉強ばかりに時間を費やしてきてしまった可能性も
否定はできないと思います。

勉強で手に入れる知識、受験テクニック
あくまで1つのツールでしかありません。

そのツールを使う人間を育てないと
ツールは無意味なものになるばかりか
下手をすると他人を傷つける道具にもなってしまうのです。

高学歴の政治家が不祥事を働くなんてことは
頻繁に耳にします。

もちろん、多くの犯罪は
学力が無い人たちが起こすということも事実です。

なので勉強が必要か必要ではないか
の二元論ではなく、
勉強は適度に必要だというくらいに
肩の力を抜いた方が良いと思います。

ダイナマイトを作った人は頭が良いです。
しかし、違う頭の良さをもった人が
それを戦争用に改良するわけです。

原子力もそうです。

受験勉強も大切です。
しかし、その前に人間が育っているか
子の心を育てるために
親は何を行っているか。
その部分をしっかり見つめることが大切です。

その部分から目を逸らし、
受験塾に丸投げで良いのでしょうか。

我が子をしっかり見つめることは
その子の才能を見つめることにもつながり、
高学歴以外の生き方も考えるきっかけになるはずです。


東大生が変わり者が多いというテレビ番組は
行き過ぎてはいますが、
大切なことも教えてくれます。

動物と人間の違いは
ただたんに子を産むのではなく
産んだ後に
人間性を高める「教育」にあるはずです。

親として我が子が大人になるために
何を大切にして教育するべきなのか
しっかり考えることが大切です。

2016年9月13日火曜日

謙遜しすぎて自分の子どもの価値を下げない!



誰もがこんなセリフ言ったことや
聞いたことあるんじゃないでしょうか?



「うちの子は字が汚くて・・・」

「うちの子はダメです・・・」

「うちの子は片づけができなくて・・・」




セリフをあげたらきりがありませんが、

「うちの子は・・・」
に続くシリーズです。





これは主に人から自分の子を褒められたときに
謙遜の気持ちから
ついつい口から出てしまう常套句のようなものではないでしょうか。




かなりの親から聞くことができるセリフです。




謙遜の気持ちを表明するのは
日本人として大切なことですよね。



「つまらないものですが・・・」



といってプレゼントを渡したり、


「粗茶ですが・・・」


なんて言ってお茶を出したりします。




感情の無い物にだったら
謙遜の言葉は全く構わないんですが、
子どもは感情のある人間



この感情をもつ子どもに対して謙遜の言葉を
多く使ってしまうと
子どもがいるときにもついつい使ってしまうものです。



子どもと親が2人で歩いているとき、
誰かに出会ったとします。



そんなとき、誰から褒められたりすると、
子どもがそばにいるにも関わらず、
「でも、宿題をなかなかやらなくて・・・」
なんてわざわざ悪い点をあげて
謙遜するなんてことがあるものです。




それを聞いている子どもはどんな気持ちになるか。



「よし!宿題頑張るぞ!」



なんて間違っても思いません。



ただただやる気を無くしたり、
自分は宿題をなかなかやらない人間なんだ
と自己嫌悪に陥るだけです。




子育てをしている時にぜひ気を付けてほしいのは
自分の子どもを必要以上に謙遜しないということ。



子どもの価値を下げる発言は
必ず現実のものとなります。



日本には古来から
言霊という言葉があるほど
言葉の影響力は絶大です。



ぜひ、自分の生活を振り返ってみて
謙遜の言葉を使いすぎていないか
チェックしてみてくださいね。

2016年9月2日金曜日

【自己評価の低い子の増加】子どもの自己評価を高める子育て

自己評価って言葉は有名でご存知かと思います。



自分を高く評価するのか、低く評価するのか。
自己評価は自信の源になるものですよね。



自己評価が高ければ、
自分はできると思い込みやすいので、
新しいことにも挑戦しやすいです。



自己評価が低ければ、
自分なんて無理だと思って、
何事もしりごみしてしまって挑戦しづらいです。



子育てにおいては
子供の自己評価は高めてあげた方が良いですよね。


ということで、
今回は子供の自己評価を高める子育てについて説明しますね。


人は思い込みのせいで、見たいものしか見えていない

時計のぞろ目

どういうことかと言いますと、
時計でぞろ目を良くみる!


そんな話を聞いたことがありません?
ご自身でもあるかもしれません。


ぞろ目をよく見るから何かあるかも・・・


なんて意味ありげに考えてみたり。


でも、本当にぞろ目を良く見ているのか?
とちょっと考えてみてください。



どう考えても時計を見た回数に比べて
ぞろ目を見ている回数は少ないですよね。



ぞろ目ではないときだって時計を見ていたはずです。



たまたま1回ゾロ目を見たことで、
ぞろ目が気になっている心が出来上がっていたんです。


で、その気になった心の状態があったからこそ、
2回ぞろ目を見たら、
もう何かの意味をそこにつけてしまうんですよね。


何かあるんじゃないか・・・


で、またゾロ目を見るかも・・・なんて考えてしまえば、
もうぞろ目を見たがっている心が完成です。



時計が気になって仕方がない。
で、時計をちらちら見ているんだけど、
見ていることはそこまで意識していません。



それだけ見ていたら、ぞろ目も見ますよ(^^;
そして、見れば、「ほらね!」となるわけです。



人ははじめの強い印象が影響して
自分はぞろ目を見やすいと思うと
ぞろ目を見た記憶ばかりを都合よくつなぎ合わせて記憶してしまいます。


ぞろ目ではないときに見た時計のことは
忘れてしまっているのです。


人は思い込みが強くなると
事実も曲げて見えてしまうんです。



子育てと関係ない話じゃないですよ。


子どもも同じなんです!


他人から
お前はダメだ。
何度言っても同じ間違えばかりする子だ。
どうしてこんなこともわからないのか?


などの強烈な自己評価を下げる言葉を浴び続けていると
自分はそういう人間なんだと思い込んでしまいます。


一度思い込むと、自分はダメな人間なんだ
という事実ばかりが目立って見えてくるようになります。


ぞろ目ばかり気になっている状態と同じです。


例えば、算数で難しい問題が解けても
偶然だと考えたり、
問題が簡単過ぎたんだと考えたりして、
自分の実力ではないと思って
できた事実はすぐ忘れやすい軽い記憶に。



で、逆に間違えたときは
自分はダメだ・・・
と強烈に記憶します(^^;


自分で落ち込む方に、落ち込む方に感情をもっていき、
いつまでも引きずってしまいます。


自分の自己評価が低くなり、
自信が無くなってしまっている子は、
その低い自己評価が正しい評価だと思えるような
悪い事実ばかりを
見たり考えたりするようになるのです。



だからこそ、
子育てをするときに大切なことは
子どもたちにプラスの言葉を浴びせて
自己評価を高めてあげることなんです。



自己評価の低い子供たちが見逃してしまっている
「実はできている」という事実を親がしっかり見逃すことなく
やればできるんだよということを
伝えてあげる必要があるんです。


全ての子供たちが
自分はできるんだ!と信じて生きてくれたら
未来はもっともっと明るくなるはずです。



ぜひ、自己評価を高める場面がきたら
すかさず褒める、認めてあげられるよう意識して
子育てをしてみてくださいね!

2016年6月13日月曜日

親から受け継がれた価値観はまた自分の子に伝わる

ネット上にホリエモンこと堀江貴文さんの
舛添さんの不祥事についての
意見がありました。



あらたな選挙資金を考えると
経済的に無駄だから舛添さんは続投した方が良いと。




確かに経済的な側面から見たら
正しい意見なのかと思います。



ただ、人の価値観は千差万別で
経済的側面を中心に見ている人ばかりではありません。



人道的な観点に比重がある人から見たら
当たり前のようにアウトと判断するでしょう。




これは子育ても同じで
親がどの価値観に比重を置くかということが
とても大切になってくるのです。



経済なのか。
生活力なのか。
世間からの評価なのか。
優しさなのか。


・・・。




この価値観の比重は
無意識であることが多く、
さらに、自分の親から受け継がれている
ということが多いんです。



いつも勉強のことばかり
言われ続けてきた自分が親になり、
知らず知らずに
同じような価値判断で
子どものことを見ていた。


他にも良い面はたくさんあるのに
勉強の側面からしか見ていなかった。


そんなこともあるのです。




自分は子育てにどんな価値観を
もって臨んでいるのか。
その価値観はどこからきたのか。
どうやって作られてきたのか。


その価値観は正しいのだろうか?



過去を思い出すことで
少し辛い作業になる人もいるでしょうが
そこを見直していかない限り
自分の子も将来親になり、
また子に偏った価値観を伝えてしまうかもしれません。




自分の価値観は正しいのか。
自分の価値観にこだわり過ぎた
子育てになっていないか
チェックしてみることも大切なことなので
ぜひ、心の中を見つめる時間をとって
ほしいと思います。

2016年3月17日木曜日

子どもの価値は総合力だということ。



子育ての悩みを聞いていると
学力に関することが多いように感じる。
これから使う学力という言葉は
「座学」という狭い範囲で使います。



学力というのは
義務教育でこの時期にはこのレベルまでは
理解していることが望ましいという目安。



世界各地によって違うものです。



なぜ最低限かというと、
人間の価値は総合力で問われるものなので、
学力という1つの物差しばかりに
偏るわけにはいかないからです。


学力がある程度高まれば、
他の力も伸ばしてあげる必要があるんです。


全ての時間を学力UPに使うわけにはいきません。



大人になったら
チームプレーが多くなります。



そこでは学力ではなく
社交性もかなり重要な要素になるでしょう。
学力が高くてもコミュニケーションがとれない
モジモジしている人は浮いてしまうこともあります。




仕事でリーダーとなる人は自分に自信をもちながらも
周囲に気を使うことができる力をもっています。


学力だけを鍛え続けてきた人の中に
この気を使うという能力が低い人がいるものです。
それは友達との関わりを少なく生きてきたからです。




では、学力以外の力はいつ高まるのか。
ズバリ学力を高めている時間以外に高まるのです。




学力を高める時間以外の
充実した時間をどれだけ過ごすことができるか。
そこが大切なんです。



友達と鬼ごっこをすれば
勝手に社交性は鍛えられていきます。



友達と何か新しい遊びを生み出そうとすることは
規模は全く違えども
新規ビジネスの立ち上げのもとになる力です。



親とゆっくり無駄話をして
その中でじっくり考えること。
これも大きな自分を高める勉強です。



しかし、大人が子どもの価値を
学力にしか見出すことができないと
他者と比べて焦りが生まれてきてしまうものです。



子どもの学力に対する焦りから
厳しい受験塾などのレールを敷いてあげて、
無理やり背中を押す。




そこまで学力って大切なんでしょうか?



土日も塾。
講習は朝から夜まで。



周囲の大人は子どもにこう伝える。
大人になって困らないように。




でも、困らない大人っているんだろうか。
学力一辺倒できたからこそ困っている大人も
いるのではないだろうか?



世の中を見ていると
どうも学力以外の力が育っていない
精神的に未熟な大人が増えている気がします。



学力のみに価値を置き、
背中を押して歩かせてきた弊害が
徐々に出てきているのかもしれません。



子どもの学力だけを高めるのではなく、
総合的に生きる力を高めることを考えてもらいたいと思います。

2015年9月23日水曜日

子供に期待し過ぎる親は子供を破壊してしまう

娘の幼稚園の発表会に行き、
その姿に思いっきり癒されました。


その様子をフェイスブックに載せましたが、
知人のコメントの中に
「このまま育ててもいいんだ
 との我が子からのご褒美」
という素敵な言葉をいただきました。


本当にそうだなと納得です。


娘を見ていると、
「今のままでいい。」
「このまま真っ直ぐ育ってくれればいい。」
と心から思えました。

子供が成長していくと期待し過ぎてしまう



でも、子供が成長していくと期待し過ぎてしまうんですよね。

「もっと言うこと聞いてほしい」

「もっと勉強ができるようになってほしい」

「もっと落ち着いてほしい」


なんて思いが湧いてきて、
その「もっと」という期待が親も子も苦しめてしまう。


人間の欲には限りがないとはよく言ったものです。


世界を見わたしても、
「もっともっと」で溢れています。


そのおかげで発展してきたのも事実ですが、
行き過ぎた結果として環境破壊というしっぺ返しが来ています。


子供たちに対しても
「もっと」という期待の視点を持って育てることは
プラスに働くのは事実ですが、
その期待が行き過ぎると破壊をもたらす可能性もある
肝に銘じてバンコクで子育てをしていきたいと思います。

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