2017年6月16日金曜日

子どもは存在してくれているだけでありがたい。

子どもは存在しているだけでありがたい。


我が子が生まれたとき、
初めて抱っこした日のことを
今でも鮮明に覚えています。


あまりに小さな命は
ちょっとした強い息でも消えてしまいそうな
弱い炎に見えたものでした。

ただ元気に育ってほしい。
消えないように強い炎になってもらいたい。


親としてそんな純粋な思いがあった気がします。


でも年月が経つにつれ、
弱かった炎はなかなか強くなり、
ちょっとやそっとでは消えなさそうになります。


するとその頃の生きていてくれるだけで嬉しい。
強い命の炎を灯してほしい。
という想いはやがて薄まり、
徐々に親としての欲が生まれてきます。


もうちょっと炎はこんな色になってほしいな。
炎の形がもうちょっときれいだといいのにな。
隣の家の子の炎の形はなかなかきれいだな。


こうあってほしい。
これもできてほしい。


それがより強くなると、
こうでなければならない。


あの子ができていて、
なぜ我が子はできないのか。

など他人と比較するようにもなってきます。

そんな親の理想が強すぎてしまったとき、
その強さと比例するかのように
子どもから子供らしい笑顔が消えてくるようになります。


自分は親の期待通りに
うまくできないんじゃないか?

自分が失敗したら
親は悲しむんじゃないか?

自分は親を悲しませてばかりなのではないか?


笑顔であふれていた子どもは
プレッシャーというものを覚え、
さらに条件を満たさないと
愛してもらえないのではないか?
と自分に対する自信を失ってくることもあります。


子育てに苦しむ親は多くいます。


その原因として上に述べたような
子どもに対する過度な要求があるとするなら、
一度原点に帰ることも大切。

過度な要求とは、
こうなってほしい。
ああなってほしい。
こうしなければならない。
みんなこうだ。
といったもの。

子どもに対して過度な要求がどうしても沸いてしまい、
さらにその過度な要求で
自分がストレスを感じているのだとしたら、
原点に帰る。


その原点に帰るものは何か。


写真です。

赤ちゃんの頃の写真を見てください。
15分でもいいんで。

不思議と肩の力がすっと抜けて、
元気でいてくれる、
ただ今成長してくれていることだけに
感謝というか、喜びのようなものを
感じることができると思いますよ。

我が子は存在してくれているだけで
ありがたいんだと。

関連記事