赤ちゃんを見ていたら、
本当に転びます。
本当に転びます。
歩きたいと強く思っているのかわかりませんが、
とにかく歩こうとして、
コロコロ転びます。
コロコロ転びます。
繰り返しているうちに、
どんどんバランス感覚は高まり、
転ばなくなります。
どんどんバランス感覚は高まり、
転ばなくなります。
気がつけば、走れるようになっていて、
自分がコロコロ転んでいたころの記憶なんてものは消えていきます。
自分がコロコロ転んでいたころの記憶なんてものは消えていきます。
でも、実際にコロコロ転んでいたのは事実です。
人は、出力して入力する。入力して出力する。
卵が先か鶏が先かじゃありませんが、
出力、入力を繰り返しながら修正して成長していくものです。
それにもかかわらず、
出力したとき、それが不正解であると、
ことさら強く叱る親が出てきます。
出力したとき、それが不正解であると、
ことさら強く叱る親が出てきます。
例えばテストの点数です。
テストの点数が悪いと、
本当に強い言葉で叱り飛ばす親。
テストの点数が悪いと、
本当に強い言葉で叱り飛ばす親。
我が子に勉強ができるようになってほしい。
その強い思いはわかりますが、
出力と入力を繰り返して成長するプロセスからは邪魔な行為です。
出力と入力を繰り返して成長するプロセスからは邪魔な行為です。
こうやって強く叱られた子は、
出力をしようとしなくなります。
出力をしようとしなくなります。
まずは学校で消極的になります。
間違って怒られるくらいなら、
発言しない方が安全だからです。
発言しない方が安全だからです。
テストになると、先生はカンニング防止策を考えますが、
そもそもなんでカンニングしてしまうのか?
悪い点数を採って、
その先にまっている危険を回避したいからです。
その先にまっている危険を回避したいからです。
その危険は様々です。
ある子にとっては、友達に笑われることかもしれません。
ある子にとっては、先生に怒られることかもしれません。
ある子にとっては、親に叱られることかもしれません。
で、私達親はコントロールできる部分については、
しっかり考えていく必要があります。
悪い結果のとき、叱り飛ばすという行為は、
次の出力を鈍らせることになります。
赤ちゃんの頃は、出力と入力の間に
調整が入って、どんどん正解を導き出すように成長できていました。
調整が入って、どんどん正解を導き出すように成長できていました。
でも、この出力がしっかりできていないと、
学びが小さくなってしまうのです。
カンニングして正解していたとしても、
その出力は正確に自分の実力を表したものではありません。
その出力は正確に自分の実力を表したものではありません。
だから、次の入力に刺激が与えられないのです。
だから成長しない。
そして、いつか化けの皮が剥げて叱られることになる。
そして、もっと巧妙に隠そうとする。
もしくは逃げる。
逃げる行為の一つは引きこもりであり、
非行であります。
非行であります。
ちょっと大げさには書いていますが、
こうやって子供の出力の邪魔をする行為を
親は極力しないことが大切なんです。
こうやって子供の出力の邪魔をする行為を
親は極力しないことが大切なんです。
間違えた結果は結果としてしっかり受け止め、
次の入力に修正を加えることを助けてあげる。
次の入力に修正を加えることを助けてあげる。
そんな対話がしっかりできる子育てが
よりよい子育てだと思うのです。
よりよい子育てだと思うのです。