勉強は意味がある?
勉強は意味がない?
みなさんはどう思いますか?
私は勉強は役に立ち、意味がある
と考えています。
ただし、勉強で得た知識そのものに対する意味ではなく、
勉強を通して高めた【副次的なこと】に意味があると考えています。
勉強で得た知識内容の大半は、
現実問題として社会で使う機会は少なく、
役に立っていないということがあります。
しかし、その知識を身につけていき、
目標に向けて努力してきたプロセスには、
人間を成長させる要素がたくさん含まれています。
忍耐力、問題解決能力、課題設定力、
判断力などなど。
まとめて生きる力と表現しても良いでしょう。
これらこそが勉強で高めることができる
副次的なことです。
その能力を高めることに勉強の良さがあるのです。
もちろん、スポーツでも
これらの能力を高めることができます。
しかし大人になってみると、
それらの能力を勉強を通して磨いてきたはずの高学歴の人でも、
社会的に役立っている人と、
使いづらい人に分かれてしまうものです。
勉強が能力を高めてくれるなら、
本来高学歴の人はらみんな活躍していても良いものでしょう。
その差はどこにあるかというと、
勉強の仕方に違いがあるのです。
社会的に活躍する高学歴の人は
受験勉強の意味を自分なりに納得できていて、
自主的に勉強に取り組んできた人に多いものです。
それは自主的に勉強をするプロセスを通して、
どうやったら自分を受験合格という目標に
到達できるのかを試行錯誤してきたからです。
その自主的な試行錯誤で得られる能力こそ、
社会でも生きてくる能力なのです。
自分と向き合い、
冷静に自己分析をし、目標との差を把握し、
その差を埋めるための戦略を立て、
それを実行し続け、ときに修正し、
また継続していく。
このプロセスはとても人間の能力を高めてくれます。
しかし、社会で活躍できない人、
むしろ足を引っ張ってしまうような人に多いのは、
大人からやれと言われて
受け身で勉強をしてきた人です。
親から半ば強制された中学受験。
お金をかけて受験塾に通い、
何をいつまでにやればいいのかは、
大人が完全に管理してくれ、
自分はそれにロボットのように従うのみ。
これはPCやタブレットによる勉強でも
同じような傾向があります。
点数を上げるのには効果的でも、
画面に弱点として勝手に出してくれる問題を
ただ受け身で解き続ける姿には
人間本来の生きる力を高まりを期待できません。
そのような勉強の仕方で難関校を目指す子は、
そのような勉強で受け身になっているだけでなく、
遊び、スポーツなどの勉強以外の経験値が少なくなります。
結果として人間としての魅力も低下する傾向にあるのです。
高学歴が無意味なのではなく、
高学歴を手に入れる過程が受け身で、
自分の能力を高める機会が少ないことに問題があるのです。
人は生きるために勉強をしているのであり、
勉強するために生きているわけではない。
勉強を高めることで、
人間力を低下させるという本末転倒にならないように
大人がしっかりと
子どもたちが勉強することで何の能力を得られているのかを
考えることが大切だと思います。
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