2015年12月15日火曜日

格差が悪く平等が良いという間違った教育

格差社会は良くない。

平等社会は良い。


格差はダメで平等は良い。
漠然としたイメージで語られることが多いですが、
おおむね、これに賛成する人は多いものです。


私は長年教育に携わってきて、
平等であることの素晴らしさは理解しているつもりです。


しかし、この「平等」は素敵な考え方であるからこそ
ちょっと行き過ぎることあるように感じています。

行き過ぎてしまった平等


行き過ぎてしまった平等は、
みんなと同じでなければならないという強制力
伴ってきます。


変な平等を子供たちに押し付けてしまうんです。


ちょっと前に騒がれた
「手をつないで徒競走ゴール」
「主役が数名いる学芸会」などが平等の押し付けの例です。


人と格差があってはいけないから手をつないでゴールする。


主役で目立つ子とわき役の目立たない子の格差を減らすために
主役の人数を増やしてしまう。


このような教育現場での平等は
変な強制力を伴ってでも手に入れないといけないものだと思いますか?
私は全く思いません。


こんな変な大人の忖度で手に入れた平等は
誰を幸せにするのでしょうか。
見ている親でしょうか?


子供たちが大人になってから、
現実は違うではないか!?
と落ち込むような教育をしてはいけないと思います。


大人社会に出ると平等主義ではありませんよね。
資本主義社会なので思いっきり競争社会です。


会社は利益が伴うので、
適材適所で働くことになります。


誰にでもやりたいポジションが回ってくる
ということはあり得ません。


子どもの頃は平等の名のもとに
欲しいものを大人の忖度で与えられる。


でも、大人になってみたらどうか。
忖度なんて無し。
自分で頑張れ。


そういうことなら競争社会だったと
はじめから教えてあげることが大切なのではないでしょうか。


小さいころは、
社会に重大な影響を与える役割ではない
まだ練習期間です。
練習期間だからこそ、手に入らないものがあると
教えてあげる必要があるはずです。


競争社会と聞くとちょっと悪いイメージが
付きまとってきますが、
競争は人を成長させる起爆剤にもなり、
他人と自分の違いに気づく良いチャンスにもなるもの。


競争があるから
世の中はサービスも技術も向上していきます。


思うように行かないから、
自分の得意、不得意にも気づき、
個性が磨かれていきます。


子どもたちが知るべき大切なことは
偏った平等とは何か?ではなく、
競争社会で生きるということはどのようなことか?
ということであるべきです。


平等の名のもと、
過度な忖度、過保護をすることは、
子供の成長を妨げる可能性があるということも
忘れてはいけないと思います。

関連記事