2015年9月7日月曜日

子どもの英語教育に時間を費やし過ぎるデメリット

TJ☆ブリッジで英語教室をスタートしました。

さらに自分の息子はハーフなので、
※ダブルという呼び方の方が良いですが、
一般的にハーフの方が使われているので。

自然と語学に対しての自分なりの価値観が生まれます。
        ⇒TJ☆英会話学校



【英語はネイティブ並になる必要性はなく、
目指すレベルに応じてできる限り効率よく、
時間をかけすぎないで学ぶ。
むしろ自分の能力そのものを高めるために時間を使うべき】

というのが私の基本的な考え方です。


これから未来は何が起きるかわかりません。


翻訳機の開発が急速に進み、
英語をネイティブ同様に話せることの価値が
低下することは十分にありえることです。


今ですら、グーグル翻訳の機能が向上していますし、
便利な翻訳アプリも出てきています。


そのうち、小型イヤホンを耳につけて、
同時通訳だって可能になることでしょう。



最近耳にしたことは、
音声がコンピュータではなく、
自分の音声を使って、
翻訳した声にすることも技術的には可能だそうです。



翻訳した声に感情が伴わないということもなく、
普通にドラえもんの「翻訳こんにゃく」を食べたような感じで
外国の方と会話できる日が来るはずです。


何が言いたいかと言いますと、
これからの時代で大切なことは、
英語をネイティブのようにに使えることではなく、
英語【も】使える人材になることだということです。



何かを表現するための1つ手段として英語があります。



英語は道具です。


大工が「かんなの刃」ばかり研いでも
大工として一流になれるわけではありません。
大工が時間を使うべきは己の技術向上です。


英語も同じようなもので、
英語の技能ばかり高めても
本人の人間としての能力が低ければ、
英語が無用の長物になってしまいます。



ただ英語が話せるだけなら、
ニューヨークの街中で物乞いをしている人と同じです。
※差別する意図はありませんよ。事実です。


大切なことは、英語そのものではなく、
英語を使って何ができるかという個人の能力です。
それがグローバル社会で生きるということだと思います。

グローバル社会で生きる




日本人は英語コンプレックスをもっているといわれています。


だからこそ、
英語が話せることがステイタス
と思い込む傾向が強いです


英語が話せることは本当にステイタスでしょうか?


私の身の回りでは英語をネイティブなみに
使って仕事をする必要がある人はごく少数です。


みなさんの身の回りはどうですか?


きっと英語を使って仕事をしている人も
別にネイティブ並ではないのではないでしょうか?


ネイティブ並みではなくても、
十分に仕事をしているのではないでしょうか。


これからはグローバル社会だ!
という漠然としたイメージで
ネイティブ並に英語が必要になると判断するのは安易です。



繰り返しになりますが、
大切なことは
英語【も】使えること。


英語はあくまでツールであると理解し、
自分の能力を磨くことが大切なことです。


各国の非英語圏の人がネイティブ並ではなくても
ある程度は伝わる英語を駆使し、
自分の能力を最大限に使って仕事をする


その結果、価値の交換ができ、
文化の交換にも人の交流にもつながる。
これがグローバル化社会の姿だと思います。


英語圏の人は私たちのように英語の勉強をしていません。


その語学に費やした時間の分、
我々がハンディを負うのは事実。


そのハンディを最小限にし、
自分の能力そのものを高めることに時間を使うことが
グローバル社会で生き残るために大切なことであるはずです。



私がこの文章を書くときは
日本語を使って考えています。


思考するときには必ず言語が必要になります。



子どもが将来、物事を多面的な視野で深く考えるとき
どの言語を使うのか。


日本語で深い思考をするのであれば、
日本語の能力を高めることを放棄し、
英語学習に力を入れすぎても大丈夫なのか。


英語にはそれを上回るうまみが本当にあるのか?
そこも考える必要があります。


英語教育にはいろいろな考えがあることでしょう。
これは私の1つの考え方であり、
別に唯一の正解というわけではありません。


英語はネイティブなみに話せる必要はなく
できる限り効率的に学習し、
自分の能力そのものを高めることが大切。


何かの参考になれば幸いです。


TJ☆英会話のキッズは
週1回と負担なく、
中学の先取りという文法中心の机上の英語でもありません。

生きた英語を楽しく学べるのでおすすめです!


なんてちゃかり宣伝もしてしまいました^^;

関連記事