2017年1月7日土曜日

親子は友達ではない!脱友達の様な親子関係

テレビを観ていると
友達のような親子がある。



仲が良さそうで
とても微笑ましいものです。



そんな友達の様な親子関係に憧れるのは
ちょっと待った方が良いかもしれません。



というのも、テレビに出てくるのはレアなケース
であることが多いからです。



テレビには出ていない友達の様な親子関係で
躾が全くできていなく
手の付けられない子になっている家庭も
山ほどあるかもしれません。



テレビなんて視聴者が喜んでくれればよいので
都合が良い部分しか放送しません。


友達同士の様な親子関係に一度なってしまうと
なかなか後戻りできないものです。



友達の様な親子関係になってしまうと
いざ伝えたいことがあっても
「はいはい。」と流されてしまうこともあります。



私は古風な教育をしようなんて気は
さらさらありませんが、
親子関係は友達関係とは違っているべきだと
考えています。



親は子供を育てるという時点で
社会に対して責任が生じます。



その子供の未来に対しても
責任が生じます。



子は野放しにしていても勝手に育ちます。
周りから学びながら成長することができます。



が、子が野放しに行動できるとき
悪い影響を受ける可能性が高いです。


野放しになった先には
同じ野放しになり躾をされていない友達が集まるからです。



躾がされず、野放しで育つことで
社会に迷惑をかける可能性が高くなります。



別に社会に迷惑かけないように
粛々と生きろと言いたいわけではありません。



まずは社会で生きるためには
社会のルールをしっかり身に付けて、
その上で自分の個性を伸び伸び発揮して
生きていけばいいのです。



親と子の関係が
友達である、友達でないなど、
本来、そんなことは些末なことです。


本質は違うところにあります。


伝えるべきことは伝える。
躾けるべきことは躾ける。


将来の子どものために良いと思うことであれば
心を鬼にしてでも身に付けさせる。



そのような確固とした親としての
責任感が大切です。



それが親になるということ。



結果として、友達の様な関係になっているかもしれませんし、
なっていないかもしれません。


それは後からついてくることです。
先に目標にすることではありません。



そもそも子供に好かれるために
親になったわけではありません。



親になるということは
好かれようが好かれまいが
子供の未来のために大切だと思うことがあれば
しっかりと伝える責任を負うことです。



伝えるだけではなく、
確実に徹底して行動できるようにさせる。




愛情が根底にあり、
感情的な伝え方でない限り、
子供は理解してくれるはずです。



吉田松陰は
叔父にあたる玉木文之進に
山鹿流兵学や侍としての生き方を厳しく指導されました。



例えば、
松陰が暑い田畑で文之進に学問を習っていたとき、
汗に群がったハエが気になって
頬を掻いたとき、厳しく折檻されたそうです。


藩という公のために学問をしているのに
痒いというの私心を出した。
私心を捨てきれないのは侍ではないとのこと。



それだけ厳しく躾をされながらも
松陰を玉木の愛情を感じていたので
恐怖心からではなく、
尊敬する師として仰いでいたそうです。



これは極端な例ですが、
情が根底にあれば、子には必ず伝わるはずです。


さらに、
子の将来のために
間違ったことをしっかり指導するのが
本当の愛情です。



子供との関係が壊れないように、
子供に嫌われないように
というのは子供のことを考えているのではありません。


自分のことを愛しているのです。



だからこそ、
親になったら
それこそ私心は捨てて、
子供の未来のために良いことは何か
ということを判断基準にし、
育てていくことが大切だと思います。



すると自然と友達の様な親子関係では
なくなってくるんだと思います。

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