2016年12月18日日曜日

勉強は目的ではなく手段だということ。

勉強は手段であり、目的ではない。

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どうも私たちは、若い人たちに手段ばかり教えて、
目的を教えていないのではないか。


       脚本家 ジェームス 三木

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これは教師をしていて心から強く思うことです。



勉強は目的ではなく、手段である。



勉強をして手に入れた能力。
その能力を使って将来に何をしたいか?
遠い将来でなくても良いけど、勉強で手に入れた能力は
何かの役に立つ能力であって、
勉強で学んだ知識を暗記することがゴールではありません。



この目的と手段を混同しているかどうかは
子どもたちに聞いてみればすぐにわかることです。


小学6年生になっても
何のために勉強しているかを
理解していない子は多いです。



とりあえずビール。
ならぬ、
とりあえず勉強。



そんな居酒屋レベルの勉強になってしまっている子は多くいます。



「〇〇しなさい」と言われるからやる。
そんなシンプルな考えであることが多いのですが、
勉強をする意味とは本当はそんな単純なことではありません。




発展途上国ではもっと勉強の効果をシンプルにみることができます。


正しい勉強をしている子は、自分の将来についてしっかり考え、
自分を成長させること、家庭を豊かにすること、
社会を豊かにすることを考えています。



正しい勉強をさせてもらえない子は、
単純労働のスパイラルから抜けられる、抜けようという意識すら生まれず、
ただ目の前にある生活を「こなす」生き方になってしまいがちです。



なぜ勉強をしているのか。



そこを親なりに、先生なりに、
大人が納得いく言葉で教える必要があります。




どこかで聞いたような借り物の言葉だとなかなか響かないものです。
そもそも教える大人自身が、
勉強を手段と考えず、目的と考えて行動してきていれば、
そのことを教えることはできません。


「でも」「しか」教師なんて言葉もあるくらいです。
先生でもするか。
先生しかできない。


勉強で身につく能力を手段とせず、
勉強そのものを目的として仕事にすることも可能なのが
今の受験教育なのかもしれません。



それが正しいのか間違っているのかは、
各家庭の考え方によって違ってくるものでしょう。



ただ、これだけは大切だと言えることは、
私たち大人が、
「自分の人生を振り返り、
 勉強が何の役に立っていたか。」
を納得していることだと思います。



その納得したことを自分の言葉で
子供たちに伝えていくことは
決して無駄ではなく、
子供たちの人生にとって有意義なことだって思うのです。

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