2015年10月7日水曜日
死を知らない子供たち
私が子供たちに伝えたいことは
生きていることが当たり前ではないということです。
昔は身内の死によって死生観を感じることができましたが、
今の子供たちは身内の死に接する機会が減ってきていると言われています。
言われているだけではなく、実際に私の経験からもそう思います。
ここバンコクで暮らす子供たちは、
田舎から離れて暮らしています。
おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなるときも、
仕事や学校の都合もあり、
片親だけが帰国するという場合も多くあります。
亡くなったという事実は聞きますが、
実際に葬式を経験することはなく、
棺に入ったご遺体を見ることなんてありません。
私は幼少期に亡くなったおじいちゃんの遺体を眺めました。
鼻に脱脂綿を入れられ、
真っ白になったおじいちゃんを見ながら、
一緒に遊んでもらった日々を思い出し、
人間は終わりがあるんだなとリアルに感じたものです。
その体験が心のどこかに残っていて、
「人生一度きりだから、やりたいことをやろう」
という思いにつながっています。
死を知るからこそ、生が輝く
桜の花は散るからこそ、人が待ち焦がれ、散ることを惜しみ、
満開の瞬間を一生懸命楽しみます。
ガン宣告をされた人の話を聞いたことがあります。
ガン宣告された病院からの帰り道、
道端の雑草にも美しさを感じるそうです。
死をリアルに知っている人は
今という時間の大切さを知る。
だから今を一生懸命に生きることができる。
人間には終わりがあるということは、
身内の死に接する機会の少ない子どもたちにこそ伝えたいことです。
みんなが生きている今日は、
昨日、亡くなった誰かが
心の奥からほしがっていた今日。
「めんどくさい」の一言で
今日という日を無駄にしている子は多くいます。
私たち大人だってそうです。
一度しかない貴重な生の時間を
ゲームの中の登場人物のデーターを
パワーアップさせるために時間を使ってしまっていいのだろうか。
今、こうして生きることができているなら
今日という日を自分を1mmでも
成長させるために使うべきではないのだろうか。
そのことを真剣に子供たちに伝えたいのです。
成長した先に何が待っているのか?
そう聞いてくる子には伝えたいです。
そんことは決まっていたら人生は面白くはないでしょ?
決まっていないからこそ面白い。
要するに
君は何がしたいの?
どうなりたいの?
どうなるの?という受け身ではなくて、
どうしたいのか?という前のめりの姿勢。
それが生きるということだと思います。
せっかく奇跡的に生まれたのだから
自分の可能性を大いに広げてほしい。
自分の命を大切に。
そして限りある生を最大限に生かして。
そんなことを伝えている塾です。
バンコクの学習塾 TJブリッジ