バンコク日本人学校の中学部は定期テスト期間です。
我が家の子供もまさに定期テスト期間。
テレビを見ていると、
自ら勉強をしているお手本のような子が映し出されることがあり、
比べてしまうってことはないでしょうか?
私も教師である前に人の子。
やはり比べてしまう気持ちは出てきてしまいます。
ただ、我が子の勉強に対してカリカリしている自分に気づくとき、
ふと深呼吸したり、その場から離れてみたりして、いったん冷静に考えて、本質を見失わないようにしています。
勉強はたしかに大切なんですが、
その内容を見てみると、
重箱の隅を突くようなマニアックな知識もたくさんあります。
そんなことは誰もが知っているのですが、
「義務教育なんだから仕方がないじゃないか」という言葉で濁して、
どこか目をそらしている気がします。
もしくは、もっともらしい理由をつけて、シダ植物について詳しくなる必要性を子供に説くのかもしれません^^;
でも、私は教師以前に人間として自分に正直になると、
勉強の中には正直、生きる上で優先順位の低い知識も多く含まれていることは否定できないと思っています。
勉強は必要なんですが、
それは誰かが必要だと考えた知識であって、自分にとって必要か?と考えたとき、
疑問に思う子がいてもおかしくはなく、
むしろ人間としては正常なんじゃないかな?とすら思えてくることがあります。
ただ、数学のように人間の考え方そのものを高めてくれる科目もありますし、
歴史を学ぶ意義もあり、理科の中にも世の中の見方を変えてくれる大切な知識もあります。
この必要と不必要が混在しているところが話をやっかいにするんですよね。
何が言いたいかというと、
勉強はたしかに大切なんですが、
生きる上で優先順位が低い知識も多く含まれているということなんです。
そして、その優先順位が低い知識をなぜ学ぶのかといえば、
その先にある進学だったり、進学の先にある就職を考えているのだと思います。
果たして、その子にとって、
その道は正しい生き方なのか?
というところの議論がないままに、
ただ目の前に義務だからという理由で、
大人がやっきになり勉強をさせる。
その勉強って親子が喧嘩して、
親子の関係が悪化しても良いほど大切なものなのか?
と問うことも必要なんじゃないかな?って思うのです。
我が子の勉強に対してイライラしたとき、
そんなことをふと考えています。
ただ、これは逃げであってはいけないとも思います。
目の前にあるやるべきことから
逃げるために、今みたいなことを屁理屈にして勉強から逃げるのはダメだと思います。
例え無駄な知識であったとしても、
目の前にある課題に対して、
目標をもち、
その目標を達成するために
努力するプロセスは生きる上でも大切だと思います。
何事もバランス。
もし、我が子の勉強に対して、
肩の力が入りすぎてしまっている人がいたら、
これを読んで、ちょっと肩の力を抜くきっかけになればいいなと思って書きました。
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