2019年7月10日水曜日

虫を怖がる子供たち



塾で子供たちを教えていて時々出くわす光景があります。


「蟻だ!!」


机の上に1匹だけ小さな蟻がいるだけで
妖怪でも見たかのように逃げる子供。


「はね蟻だ!!」


蛍光灯に寄ってくるはね蟻1匹を見て、
席から立ちあがって逃げる子供。



こんな光景は特別ではなくて、
ここ数年、よく見かけるので、
塾だけではなく、今のバンコクで生活している子供たちは
だいたい同じような行動をしているのかなと予想できます。



この様子を見ていて、
自分たちの時代と今とでは全く違うんだと
軽く流す気持ちにはなれません。



どこか生き物としての弱さを感じてしまいます。


簡単に言えば、自然に接する機会が極端に減っているのが
原因なんでしょう。


蟻くらいで騒ぐ子供たちを見ていると、
人間というものが自然の一部であることを
完全に体の記憶からも忘れてしまっている
ということを感じます。


人間は自然の一部。


私たちは自然と接しながら、
こんな当たり前のことを感じてきました。


だからこそ、
環境破壊には敏感になりますし、
一匹の虫の命からも
自分の命についても、
うっすらと感じることができたりします。


子供のころ、
蟻を虫眼鏡で殺してしまったことがありました。



しかし、どこか申し訳ない気持ちになり、
罪悪感をおぼえたことも事実です。



自然と自分は決して切れているわけではなく、
どこかでつながっているような感覚は、
周囲の自然との接点から学んだ気がします。



今の子供たちは、そんな自然とのつながりが減ってしまっていて、
さらに、自分が虫と同じような生き物であるということも
忘れてしまっていて、生命について考えることが減っているのかな
って思います。


生命について考えることがあるからこそ、
年を重ねてきて、有限の命を実感し、
だからこそ、今を大切に生きたいという強い生命力が
宿るような気がします。



今の子供たちはそこが希薄で、
どこか人工的な温室栽培的な見せかけの健康さをもち、
どこか生き物としての脆さがあるような感じがします。



やれ、自然体験だ!
といっても、どこかのパッケージツアー的なものに参加してみても、
行動は制限されていて、
自ら感じる時間が少ないものです。


人に決められるのではなく、
自分でふと立ち止まり、
葉につくバッタを飽きるまで見る。


そんな経験が必要なのかな・・・



自分たちが自然の一部であり、
儚い命であり、
地球に生かされている存在であり、
だからこそ1回の命を大切に生きようという思いをもつ。


そんな大切なことも
実は子供時代の蟻1匹からスタートするものです。


ちょっとした自然のある空き地で遊んでいると、
私有地だから入るな!と怒られるご時世。


もう少し子供たちに自由な時間と
自由に接することができる自然を
提供してあげたいものですね。

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