2016年10月2日日曜日

心を育てず頭ばかり育てる子育て


考えが浅いまま、
心が置き去りになったまま成長する子どもが多い。




テレビを見ていても
若い人たちと接していても
ネットでの意見を読んでいても
自分の価値観、考えをもっていないのではないか?
と思われる人が少なくない。



頭は良いけど
心に表情、情緒に乏しい青年も増えている。



どうしてかな?と考えてみれば
子どもの育ってきた環境に原因があるようだ。





子どもの価値観を育てる
もっとも基本的な場所は家庭だ。




家庭が子どもの価値観を育んだり、
自分なりの考え方を高める環境として
成り立っているかが大切だ。




親が偏った価値観しかもっていない
としたらどうだろうか?



当然、子どもはその価値観の影響を
もとにうける。




受験して高い大学に行けばいいという価値観は
だいぶ崩れてきた。




とっくに時代は変わり、
高い大学に行くことが
必ずしも幸せではないと知りながらも
それ以外の価値をもつことができない。



あたふたするわけにもいかず
自分たちがしてきた旧型の学歴偏重という価値観のもとに
とりあえず子育てをし続けている。



この様な家庭での子どもと親との会話と言えば
昨日も今日も明日も
金太郎あめの様なものであることも多い。





宿題やった?

塾の用意は?

学校のテストはどう?

テレビかりしてないで
勉強しなさい。

ゲームばかりやってないで
勉強しなさい。

良い大学に行かないと
苦労するよ。



そんな定型文ばかりを
毎日繰り返して子育てをする。





食事中はテレビを観て、
偶然、教養番組があれば
それに基づいてかろうじて
価値を育む会話をする程度。



大切なことはワンピースというマンガから学んだ・・・
なんて真面目顔で言う状況。



そのような環境で大人になれば、
当然自分も同じような偏った
子育てをすることになる。



再びワンピースの様な漫画が
登場することを願うのみだ。




学校はどうか?




道徳の時間は週に1時間。



が、その道徳の授業でも
教科書を読んで感想を述べ合うだけ
という技法しかもたない教師もいる。



さらに危険なのは
その道徳の時間を違う遅れた教科の補填に使い、
月に1回道徳の授業をすれば良い方だという教師もいる。



学校も勉強ばかりを教え、
子どもが自らの考えを深める時間を奪い、
価値観を醸成する機会がない。



家庭でも勉強以外の価値観を与えられない。



そのまま育った子どもたちに
自分の意見をもたせる方が大変だ。




ましてや、これからは海外の人たちと
今以上に密にコミュニケーションをして
生きていく必要もでてくるだろう。



早期から
英語を習っても
そもそも人間としての価値観をもてないで
何を話すのだろうか。



その英語教育も
受験に有利だという神話のもと
英検などのペーパーだけに力を入れて、
会話のできない高学歴の子も増えている。




子どもと生き方について語ったり、
社会問題について語ったり、
今日一日の出来事を話し合ったりする。




勉強以外の価値観を育てる会話を
もっともっと大切にした方が良いのではないだろうか。



学歴が大切ではないと言いたいわけではない。
学歴はあくまで人生の中で手段である。



手段ばかりを磨くことに偏ってしまうと
その手段を使う本質である人間が育っていかない。



人間としてどう生きるのか。
何が大切なのか。


もっと本質の部分を育む教育を
子どもたちにはしてあげる必要がある。



答えが無い教育だけど
答えが無いからこそ
自分の人生観が現れ、
オリジナルの教育となる。



もっと人間の本質である
心を育てる教育をした方が良い。



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