2016年2月20日土曜日

子育てで見返りをもとめてはいけない理由


私が教師として若かったころ、
わからないという子どもにつきっきりで教えたことがありました。



その単元のテストがあり、
その子が私が長い時間をかけて
つきっきりで教えていた問題を間違えていたのを知ったとき、
がっかりした記憶があります。



がっかりするだけならまだしも、
正直イラッとしてしまう気持ちが湧き起ったことがありました。



そんなとき、はっとして自分を律するようにしたものです。
自分は何のために教えていたのか?
できるようになってはほしいけど、
できないからといってイラッとするのは
何かちょっと違うのはないかな。



教育は見返りを求めてはいけない。
と自分の中でルールをつくっていたからです。



これは子育てにも言えることなんだと思います。



子育てでも親として
我が子の教育にかなりの時間や労力をかけているはずです。



例えば、習い事の送迎をしてあげたり、
一緒に練習をしてあげたりしたにも関わらず、
試合の結果がふがいないものであると
イラッとした気持ちが湧き起ってくるものです。




その親のイライラは子どもに伝わります。




子どもからしてみると
良い結果のときは喜んでもらえ、
悪い結果のときはイライラさせてしまう。



自分の行動の結果によって
親は喜んだり怒ったりする。


自分の行動によって
親からの愛情を受けられたり
受けられなかったりすることがある
と受け取ってしまう。



自分は条件付きで愛されている。
そんな感覚をもってしまうのです。



条件付きで愛されるとわかった子どもは
できない自分を変えるために必死で努力してくれる
と思いたいところですが、
多くの子どもはできないことを隠そうとしてしまいます。




親からしてみたら
イライラしているのは愛していないわけではないのですが、
子どもは複雑な心理などわかるはずもなく
もっともっとシンプルに愛されていないと受け止めてしまうのです。




子どもにとって親から愛されないということは
死活問題にもなる大きなことです。




だから、できない自分を隠そうとするのは
当たり前のことかもしれません。



どのように隠そうとするか。



学校のテストを見せたがらなくなる。
わからない問題を質問しなくなる。
学校であったことを話さなくなる。



このような行動となって
徐々に自分のことを隠していきます。




私が教師としてルールにしている
見返りをもとめない。



それはこの様な子どもの心理を考えた上で、
子どもたちの真の自信を育むための
ルールなんです。
条件付きの愛では子どもたちは自分のことを
心から信じることができないです。



できるようになってほしいし、
教師としてそのように努力はしますが、
できるようにならなくても
イライラして結果を叱る必要はない。



自分が教えたいから教えてるんだ。
子どもが良くなることによって
自分が満たされるためにやっているわけではないんだ。



そう考えています。



子育ては見返りを求めてやるのではなく
マザーテレサの様な一方通行の
無償の奉仕であると思った方が
親と子の精神衛生上良いということが
少しは伝わっていたらうれしいです。




バンコク学習塾
TJ★ブリッジ

代表 小川一樹

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