2016年6月9日木曜日

子は親の持ち物でも小型版でもない。


子は親の持ち物ではない。
おじいちゃんの持ち物でもない。

親の小型版でもない。



先日ダウンタウンデラックスを観ていたら
東尾修さんと石田純一さんが
出演されていて、
東尾修さんが孫の理汰郎君を絶対にプロ野球選手にさせる
と強く発言していました。



石田さんはプロゴルファーを視野に入れているそうで、
東尾修さんが絶対にプロ野球だと言い張っていました。



スピリチャルカウンセラーの江原啓之さんが
実は芸術方面に才能があると伝えていました。
それが正しいか間違っているかはわかりません。


ただ、かたくなに野球選手だ!と言い張っていました。


色々なやりとりがありましたが、
基本的なことを考えるべきなんじゃないかな
と感じました。




子どもはおじいちゃんや親の持ち物ではないということ。


さらに言うなら、
家族がスポーツが得意だからといって
自分たちの小型版のようにスポーツに進むべき
と考えることも違うのではということです。




親である私たちは
一度しか人生を経験できません。


成功者であればあるほど、
自分の生き方が正解であるように思えてきてしまう
ということはわかります。


でも、必ずしも自分の生きてきた道が
自分の子にも正しい道かといえば
そうではないはずです。



言葉にすると当たり前のことですが、
親である私たちの行動は
自分の思い込んだ価値観に無自覚に従っていることが
多くあるものです。



私は空手をやっていて、
学生のころは剣道をあまり好意的に見ていませんでした。



棒を奪えば無力化できるなんておかしい。
より実践的なのは武器を持たない自分自身を鍛えることだ。
なんて喧嘩で強くなることを
かなり主体にして価値判断をしていた時期がありました。



でも、大人になって考え方はかわります。
剣道は精神を高めてくれるということ。


さらに実践に役立つか役立たないかは
価値判断として偏っているということ。



別に剣の道を究めることに価値があるかないかより
究める過程に価値があるということ。


などなど、
後で価値がわかることは多くあります。
今は我が子は剣道も習い始めています。



子どもだって無限の可能性があると言われるように
あらゆる可能性をもっている存在です。



それにも関わらず、
自分たちの凝り固まった価値観で
子どもの未来を決めて良いものなのでしょうか。



未来は私たちが予測などできません。



弁護士が良いと思っていても
10年後はコンピュータ化されているかもしれません。



子どもたちがやりたいことも
どんどん時代と共に変わっていくはずです。



今の親の価値で勝手に決めない。
子どもは大人の持ち物でもないし、
私たちの小型版でもなく
1人の人格をもって生きる人間。



そんなことをテレビを観ながら感じました。



子育ての参考になれば幸いです☆

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